私の心から敬愛する作家の一人である、氷室冴子先生の訃報を聞いて驚いています。

ここ数年は新作がなく、過去作品の新装版あとがきくらいしか書かれていないようだったので、どうしたんだろうとは思っていたんですが、まさかこんなにも早く亡くなられてしまうとは。
小学校高学年〜中学生に書けての私の読書ライフの大部分を占め、人格形成にかなり影響している作家さんでした。
※特に、初期の寄宿舎系の作品がたまらん。クララ白書シリーズもいいですが、その前の固い感じのやつもいいんだな、これが。シンデレラシリーズは、こっそり自分で漫画化してたくらい好きでした。

あの頃、現在のBL〜ラノベブームの先駆けみたいな感じで、コバルト文庫やティーンズハートでは人気作家が輩出していましたが、その中でも、氷室先生の作品のレベルの高さは特筆ものだと思っています。
2ちゃんで「壷ポエム」と揶揄されるような、下半分をちぎればメモ帳になるんじゃねーかと思うような改行多用の軽い少女小説(小説ともいえんような)も量産される中で、かなり硬派といいますか、読み応えがあるといいますか。
たまたま設定や主人公が、少女向けになっているだけで、文章レベル、内容の盛り込み方、構成はしっかりしていて。

前に、何度か日記にも書いたような気がするんですけれども、氷室先生は(確かジャパネスクの後書きだったと思う)コメントの中で

(読者から)こんなストーリーがどうやったら浮かぶんですかと聞かれることがありますが、浮かぶのではありません。一所懸命、頭を絞って考えているのです。

といった意のことをかかれていました。
これが、私の支えの一つでもあります。

何となくで、根拠はないのですが、作家や漫画家、作詞家、作曲家で「才能のある人」「天才の人」は、作品が「浮かぶ」「湧き出てくる」人であるようなイメージを持つ人は多いと思います。

実は、私も私の母もそうでした。

私が小学生〜中学生くらいにかけて、ノートにエンピツで漫画を書いていた頃は、何も考えなくてもスラスラと後から後から書きたいことが浮かんで、毎日何ページも描いていたものでした。
※現在その当時のノートを見返してみると、完結してないし(取っ掛かりの楽しいところだけ勢いで書いている。何かしらのエンディングまでまとめる力がない)雑だし(しかもキャラのアップを描くのが楽しいので、そればかりの顔だけ漫画である。小学生にありがち)それ以前に、これ人気作品某のあからさま過ぎるパクリじゃねーかよpgrみたいなひどいものなんですけれども、あんまり考え込まないでどんどん描けていたあの頃は楽しかったなあと思うことはあります。

もうちょっと年齢を重ねていくにつれて、考えすぎたり、それで空回りしたり、何も「浮かんで」来ないことに恐怖したり、頭で考えたことに価値なんてない、本当に才能のある人は全部出てくるんだと思ったりで、落ち込んだりしておりました。そんな状態で描いたものが面白いわけもなく(描いてる自分が自信ないからね)まあ、玉砕したりしてたわけです。

さらに、私の場合、「描く」ことそのものよりも、自分がぼんやり妄想したものが形になったものを「読む」方が楽しいタイプで、出来上がった原稿の(自分としては)出来のいい部分を見るのが至福なタイプなのです。
なので、考えたものを紙に落とし込む作業が苦痛で仕方がなく(出来上がった結果を見るのは好きなんですけど)なかなかペースが上がらないわけです。勢いつけちゃえば結構行くんですけど。

ストーリー考えるにしても、作曲で言えばサビ部分をぼんやり考えるのは楽しいんですが、曲として完成させるにはイントロをどうするか、終わりはFOにするのか、AメロとBメロのつなぎをどうするか、サビは何回繰り返すか。そしてボーカルラインは勿論、ギターやベース、ドラム等はどうするのかといったことも考えないといけない。
そこをきちんと乗り越えられる人だけが「鼻歌で自作メロディー」から「曲作り」に移行できるんだと思っている。

漫画も同じで「主人公が超能力者って楽しいよね!」で「○○アターック!」「ギャース」の場面だけ描いているのは楽だけど。作品にして、人に見てもらう、自分の萌えを共有するにはそれじゃ駄目なんだ。
※鯖さんが超能力者ものを描いているわけではありません。薄ぼんやり描いてみたいとは思ってますけど。

まあ、ラクラク描けることが才能なら、その才能はなかったし、中学生でデビューするとか、初めて描いた作品でデビューするとか、そういったある意味わかりやすい才能もなかったんだ、私。描きたい気持ちや、青息吐息であげた原稿みて「この部分いいわあ」と自画自賛(笑)するくらいの。そして、それだけじゃだめなんだろうなと理解することと。

そのころ母親は、私が「天才」「才能がある」「あふれるように作品が出てくる」「それが楽しくてしょうがない」人間でもないのに、発信側を目指すことを責めて、そんなことをしないで会社の仕事だけに専念してくれと言ってきていた。
そんな母を、何で私の人生を思い通りに支配しようとするのか、邪魔しようとするのかと憎んで、反発はしても、自分がわかりやすいタイプの「才能のある人」ではないだけに、結果が提示できずに泥沼でした。
※あの頃、創作を仕事にしようとしないで、創作はあくまで趣味の活動にして、会社勤めで生きていくのに必要な程度の収入は得るようにして…と言われていたらまた変わっていたのかもしれませんけど。
その後、職場の人間関係トラブルで相当落ち込んでボロボロになっているのを見て、手のひら返したようなことを言ってきましたが。本当に追い詰められている時に背後から撃っといて遅いんだよ。
まあ、もう1年会ってもいないし、電話もしてないし、今後も会う気ないので関係ないですけど。とりあえず、取り上げられた通帳とカードだけ返して欲しい。

いわゆる「天才」と思われている人も、もしかしたらその苦しんでいる姿を外に見せないようにしているだけかもしれないし、大変そうなことでも、苦にならないから何ともないと本人は感じているだけかもしれない。

自分が「あふれるように作品が出てくる人」ではないことは、ある意味私を傷つけたし、そうでない自分は発信側(漫画描き)を目指してはいけないと全否定されたようでしたけれども(私もバカでしたが。実家を出る前の私は、本当にバカで、家にいる以上、親の言うこともある程度聞かないといけないと思っていた。まさにエネme。)

読み返した氷室先生の本で「ストーリーは浮かぶものではなくて考えるもの」と書かれてて。

浮かばなくてもいいんだ。考えてもいいんだ。絞り出してもいいんだ。
※まあ、その当時の私が絞り出したものなんて、お粗末極まりないものでしたけれども。そうしてもいいんだという発想の転換というか、許されたという感じが、殴られたようでした。

天才じゃなくても、溢れるモノを描いているというスタイルじゃなくても、描きたいなら描いてもいいんだ。
「描こうとする意志がある」「完成させる努力ができる」ことは、何とかできる。足掻いてもいい。

その結果、出来上がったものが面白いかどうかなんだ。

経過は関係ない。

そんな生き様もありだよね、と思わせてくれた偉大な先達でした。
蛇足ですが、「冴子の母子草」が大好きです。でも、うちの母は、先生の母よりも……orz

心よりご冥福をお祈りいたします。
ずっと続きをまっていた「ジャパネスクシリーズ」「銀の海金の大地」「碧の迷宮」もどうなるのかは氷室先生のみぞ知る、となってしまったことが返す返すも残念でなりません。

コメント

蜜柑
蜜柑
2008年6月7日18:44

えっ…ええっ
知りませんでした。ショックです。
非常に残念です。

鯖
2008年6月11日22:48

お通夜でお焼香だけさせて頂いてきました。

斎場では、在りし日の氷室先生の写真がスライドで流されていました。
2005年夏頃の写真は、癌の治療中と思われる姿でした。
その後の旅行の写真は、美しい布をターバンのように巻いた姿でした。
最後の写真は、洗い流されたような、どこか達観したような、そんな表情でした。

あのアルカイックな氷室先生は、どんなことを考えていたのかなと思いました。
鯖

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