教員免許が更新制になるらしいという報道を見て、怯えている鯖でございます。皆様こんにちは。

といっても、私は教育実習に行って「ああ、私には無理だ」と教員になる気をなくしたクチですので、教員になれるなれないではなく、鯖会社からドロップアウトした暁には、唯一持っている教員免許をタテに、塾か予備校かで雇ってもらいたいという思いを、保険のようにもっていたので、そのマイセイフティネットがなくなったら、気持ちの余裕がなくなってしまうよ…と怯えている次第です。
※「私には無理」…鯖さん、OG馬鹿と言われるかもしれませんが、あえて言います。私が教育実習にいった我が愛すべき母校の後輩達は、(見た目も人柄も)可愛らしい子ばかりでした。進学校なこともあり、態度も真面目だし、賢い子ばかりなので、授業を進めるのも楽でした。だからこそ、こんなにいい子ばかりじゃない学校でなんて、絶対自分はやっていけないし、別の方向から考えれば、この子達に「先生」って呼んでもらうに相応しいような人間には、自分はなれないと思ったのです。

※そして、大学の時の、高校教師をやっている先輩が、「自分が10の力を持っているとしたら、国語や数学といった、担当教科を教えるのに使えるのはそのうちせいぜい2か3くらいで、残りの力は他のことにとられてしまうよ」と言っていたことも。
 自分で言うのもなんですが、教科のこと(文章読解のコツだとか、古語文法だとか文学史だとか)を教えるのは、それなりにできる自信があります。でも、それ以外のこと、生徒が最も近くに見る大人としてふさわしい生き方ができているかと聞かれれば、否だろうと。教科指導は出来ても、先生として生徒に自分の生き方を見せることが出来るような大人にはなれていないなあ…。恥ずかしくて「先生」だなんて呼んでもらえません。(だから、世の中の「先生」が自分がそう呼ばれるに足る人なのか考えたことあるのかなあと思うことも多々。考えすぎか?)

一生懸命な先生ほど、そんな免許更新の試験勉強なぞしている余裕もないほど日々のお仕事に追われているだろうに。何もしないでのうのうとして、試験勉強だけしているようなDQN教師を駆逐することを先に考えればいいのに。変に試験を持ち込めば、そういうダメ教師は試験対策ばかりして、日常の仕事をおろそかにし、周りの先生がしわ寄せを食って疲れてしまう悪循環に陥ってしまいそうだ。

私のセイフティネット云々をぬきにしても、導入するならその方法を慎重にしてもらいたいものだと思います。

 * * * * *

「飛んだ」人について。

私が大学生だった頃、卒業後に誰もが名を知る安定大企業で働いていたのに、ちょうど今の私くらいの年齢で、教師になるという夢を諦められず、退職して大学に戻ってきた方がいらっしゃいました。

その先輩は、卒業の際に、教員採用試験を受けるか、就職するか相当迷ったが、新卒じゃないとなかなか入りにくいところに内定をもらっていたことと、教員は免許さえ持っていれば、既卒であっても、新卒と同じラインで採用試験が受けられる、ということで就職を選んだらしいと聞きました。
※現在は、教員採用試験の受験に年齢制限を設けない都道府県が増えてきましたが、当時は低いところだと30歳くらい、高いところでも35歳くらいの制限を設けていたところがほとんどだったように記憶しています。

とても優秀な方だったので、担当教授も、後輩の私たちも「○○さんだったら実力勝負の試験を突破できるに違いない」と楽観視しておりましたし、事実、その方は翌年の試験を見事突破して、教師となりました。
※現在はよく知りませんが、当時、教員採用試験を受けるのに、担当教授の推薦状が必要な県は多かったようです。

教授や後輩にいくら誉められたとしても、採用試験に合格する保証などどこにもないし、それなりの年齢になって、誰もがうらやむような安定した職を捨てて、試験に挑むなんて、なんて勇気がある人だろうと、眩しく思うようになりました。
正直言って、地方の教員と、その大企業のエリート社員だったら、傍から見ればエリート社員のほうがすごい印象があるし、収入だっていいだろうし、安定度でも引けを取らないと思う。

でも先輩は、教員を目指すことを選んだ。そして飛んで、勝ち取った。

私も、今の会社にいれば、それなりの収入も得られるし、地元ではそこそこステイタスのある地味企業なので、鯖父も娘が今の会社にいることが自慢らしく、ある意味親孝行しているともいえなくない。

でもいつか、あの先輩のようになりたいと思っていました。

でもいつか、あの先輩のように。傍から見れば、バカみたいかもしれないけれど、やりたいことを。
傍から見て「いい」人生ではなく、自分がやりたいことをやりたいと。

私がいつかやろうと思っていたことを、すでに成し遂げたお手本があるという安心感。

安定した仕事を捨てて、夢にかけて、勝利した先輩が。
※教師と漫画描きでは天と地ほどの差がある気もしないでもないが。まあ、それはいいよ。安定職とリスクという点では類似点もあろう。

あの先輩も乗り越えたのだから、私もいつか乗り越えようと。

先輩の生き方は、私の拠り所であり、憧れであり、希望でした。

 * * * * *

そして、数年前、人づてにその先輩の訃報を聞きました。

 * * * * *

まだ30代後半でした。

私が聞いた限りでは、なくなった原因がわかりませんでした。交通事故という話も、病気で療養しているといった話もありませんでした。

その先輩以外にも、教員をやっている知人もいるので、そちらでも聞いてみましたが、わかりませんでした。
※教員本人や、その親族に不幸があった場合は、通常は教員ルートでお知らせ文書が回覧されるらしいですが、その先輩に関するものはなかったそうです。

考えたくないけれども。真面目で誠実で、安定した仕事を捨ててまで教員という仕事に取り組んでいた人だったので…。
実際、真面目にやればやるほど苦しい仕事なんじゃないかなと思います。教師って。

 * * * * *

先輩は、どんな気持ちで亡くなっていったのかなあと今でも思います。

事故や怪我や病気で、心ならずも亡くなっていったのだとしたら、夢を抱えて飛んで、たった数年だったかもしれませんが、夢見た教師という日々を掴んで生きられたのだから、そういう意味では「飛んでよかった」「飛ばなかったらどれだけ後悔したか」道半ばで息絶えるのは悔しいかもしれないが、一つ一つのターニングポイントをしっかりと選択してきたこと自体、飛んだことに対しては満足していたんじゃないかなと思います。

もし、自ら離れることを選んだのだったら、自分がそこまで思い入れのあった夢につぶされてしまったとしたら、なんと皮肉なのだろう。

夢が夢のままであったのなら…。手に入らない星を眺めるように、触れないままでいればよかったと、飛んだ自分を責めたのだろうか。
※言い方悪いですけど、配属の運不運も正直言ってあると思います。学校によっては、教師は生徒に背中を向けられない(何が飛んでくるかわからないから)ため、後ろ手で板書をするテクニックが必須というところもあるそうです。鯖友も、生徒から進路相談のメールが来たが、それがいわゆるギャル文字だったとへこんでいました。教師に相談する時にどんな文章を書くべきなのかも判断できない生徒が存在するのかと思うと、本当に不安になります。そんな子ばかりではないのはわかっているつもりですが。

私も、飛んだ時に、飛んだ自分を後悔しないか。

飛んだ先にあったものが、自分の夢見たものと必ずしも一致しない、飛んで求めていたはずのものを手に入れても、それは違うものかもしれないということを考えたことがあるか。

 * * * * *

先輩が満足して逝かれたことを信じたいし、私が見ている夢が、私に幸福をもたらすものであることを信じたいと思ってやみません。

コメント

nophoto
ゾウムシ
2007年3月14日19:57

こんにちは

今回はボクのHNの由来である養老孟司さんの講演録から勝手にwコピペで引用して書いてみようと思います。

ボクはもう20年近く前から養老さんをひいきにしていたのですが、バカの壁以来、逆に養老好きを口外しなくなりました。HNで使う程度。でも今回は特別w。ちなみにゾウムシという昆虫の研究は養老さんのライフワークのようなものです。

一つ目は鯖さんを後押しするものかな?

<以下引用>
予測と制御というか、予めこうなるというルートに沿って今やることを調整する。その典型がロボットとミサイルです。
で、人間はそうか、と私は聞きたい。死ぬまで何をするか決まっていない。それが生きるということですが、現代生活では定年になったらどうするか、とかかなり前から準備している。そういう生き方を見ていると、ひょっとしてあの人はロボットに生まれた方が幸せだったのでは、と思うのです。
人は変わります。自分が何10年か生きてきた世界が前世に思えるのは素直な感覚です。どうして前世かというと色が付いていない。今私が生きている世界はものすごく明るい。ちょっと生活を変えてみると色付きだと思っていた世界が実は白黒だったことに気がつく。その感覚が日本は特に強い。それを補強しているのが世間です。自分より周囲の考えに従って行動する。
<引用終わり>

でも、こんなことも言っておられます。

<以下引用>
今の人は「 私に合った仕事 」なんて言い方をする。
いつの間にか誰もが、仕事は自分の為に存在しているっていうように思い込むようになったんです。仕事というのは社会のためであって、自分のためじゃないんです。
私は解剖を45年してきた。解剖というのは死体がいるんですよ。死体というのは自分で作る訳にいかないから、生きているうちにお約束して、その代わりいつでもどこでも伺いますからご連絡して下さいって言うんですけど、本人が連絡してくる訳ないじゃないですか。
だから生きているうちに、ご家族にもみんなハンコ押して貰わなきゃならないんですよ。それを献体と言うんですけど、いつでもどこでも伺うと言った以上、元旦だろうが大晦日だろうが行かなきゃいけない。
50体集める。解剖が終わると焼き場で焼く。一週間かかる。遺族に連絡して、慰霊祭に来るか、お骨を届けるかの確認をとる。そうやって一連の仕事が終わる。

これのどこが私に合った仕事ですか?

その日の解剖を終えて、死体をビニールに包む。翌日ビニールを取り除くと、昨日終わった所から全然進んでいない。当たり前の話。 誰かが手伝ってくれる訳じゃない。自分がやった以上でも以下でもない。解剖はやっていくと最後はバラバラになって、何も無くなる。そこが画や彫刻と違うところ。解剖は売れない。
じゃ、なぜやっているのか?
「修行」だと言う。最後は本人が作品になる。
<引用終わり>

聡明な鯖さんなら上記のことは重々承知されているでしょうけど「結局、正解なんてない」わけです。「これのどこが私に合った仕事ですか?」なんて「我慢」して「修行」して、それが良かったと言っておられる。実際に自分が作品になって養老さんは売れているわけです。一方で、「未来を予測して生きたって楽しくない。世間の目ばかり気にしても仕方ない。アンタはロボットか?」と言っておられる。

鯖さんがご自身のお仕事を否定的に書かれていることが何度かありましたが、そういう会社でも我慢して修行されたことは必ずプラスになっているはずです。養老さんの解剖という仕事は、立派な学問ともいえるけど、死んだ人を切り刻むなんてまともな人間のできることじゃないと批判する人も少なからずいるはずです。だから、仕事の行為そのものよりも、そこから何を得るか、じゃないでしょうか。そして、どんな仕事からも得ることができると思います。それは自分の意識次第。だから、このまま今の仕事を続けられても、ご希望の夢に挑戦されても、まったく違う道に進まれても、極端に言えば同じことだと思います。でも、どこへ進むかは自分でしか決められません。確かに早世される方もいて人生は短いのですが、養老さんなんて売れ出したのは60歳を過ぎてからですよ。40年は下積みです。その下積みこそが今の養老孟司を作った。だから焦る必要はないけど、ゆっくりもしていられない。やっぱり正解なんてないわけですw

鯖さんの「私に幸福をもたらすものであることを信じたいと思ってやみません」ではなくて、決めてしまったら、それが良かったと思うしかないんじゃないでしょうか? ボクはそう思いますよ。

だから前にも書きましたが、僕は鯖さんの決断を尊重して応援します。
それがどのような決断でも。
そして決めたら自分は幸福だと思えばいいだけのことなんです。

・・・と、偉そうに言っているボクは冴えないオッサンなのですが(爆)

鯖さんはつくづく真面目ですね。この真面目は良い意味と悪い意味の両方があります。実はボクも似たタイプなんです。共鳴するところが多々あります。だから惹かれるところがあるのかな。あるいは放っておけないというか。そんな感じで、こんなコメントでも何かの参考になればという老婆心です。そんな歳でもないですけどw 長々すみませんでした。

鯖
2007年5月2日22:59

ゾウムシさん
ご無沙汰しております。ゾウムシさんからは折に触れていろいろと声をかけていただいているのに、すっかりお返事が遅れてしまい(それも2ヶ月って…ほんとすみません)申し訳ないです。
表日記からだけではわかりにくいかもしれませんが、4月に転勤になり、関東某県で前事務所とは全く違う仕事をすることになりました。まあ、所詮同じ会社なんで、いろいろと思うことは有るんですが。

上記の先輩は、ここでははっきり書いていませんが女性で、もとは鯖会社の同業大会社(鯖会社が県レベルの土建屋だとしたら、スーパーゼネコンみたいな感じの関係です。)で働いていらっしゃったので、余計に思うところは多かったのです。憶測でしかないのですが、夢を追いかけた結末が、その夢の職業のストレスによる鬱で自殺だったりしたら、救われなさ過ぎるので。

私は今の会社に対してかなり否定的なんですが、もう20代の7年間という相当比重の大きな時間を費やしてしまったことは取り返しがつかないので、それを無意味であったと思いたくない気持ちはあります。
7年の間に、いろんなことも考えたし、成長した部分も大きかったと思います。彼氏は出来ませんでしたが(痛)

でも、昨年の交通事故や、先輩の訃報を通して、その仕事を通じて得られた「成長」を自分は望んでいたんだろうか?それで成長して、それは自分の幸せに通じているんだろうか、疑問に思うようになったのです。

漫画やイラストを描くことは、それこそ幼稚園の頃から大好きで、中学生くらいまでは、本当に何の疑問もなく大人になったら漫画描きになって生きていくんだと思っていました。

なんで今こうしているんだか…。
大学在学中にデビューできれば違っていたのかもしれませんが、それは力及ばず、成り行きで鯖会社に就職することになり、一昨年に実家をでるまでは、鯖母の監視と全否定に息を潜めるだけで精一杯の毎日でした。そういう日々を過ごしていると、本当に自分が漫画描きになりたいのかどうかもわからなくなってきます。
まあ、そんな親の言うことを真に受けている私もバカなんですけど。

今、ようやく(母)親の干渉があまりない生活を手に入れたので、自分がどう思うかゆっくり考えようと思っていたところに、先輩の訃報が届いて、その無根拠な干渉が急に現実味を帯びてきてしまったのです。

そんな業界でやっていける才能がある人なんてホンの一握りだ、アンタにそれがあるの?
大学在学中にデビューも出来なかったくせに(←これは鯖母もよくわかってないので、自分で気にしているだけなんですが)

まあ、運良く漫画描きになれたとして、描けなくなったらどうするの?

夢は夢のままで置いておいた方がいいのよ。今の会社にいたら、老後まで安心よ。

今の会社の仕事に影響がないように、そちらを優先しなさい。

そんなヤクザな商売よりも、今の会社できちんと働く方が社会的に意味があるのよ。

結婚も出来ないくせになに言ってるの。

………

気持ちの奥底で不安になっていることを、(知らないからこそだと思うんですが)突きつけてくるんですよね…。(自分ひとりならいいけど、親の老後のこともちょっとは気にしてるからこそ、無謀に会社辞められないと思っていることあたりも分かってほしいもんですが。)

でも、今の仕事で成長することがあっても、この会社的に成長して出世しても全く嬉しくないし(そういう会社なんですよ…。社長もDQNだし。階級的出世と経済的出世が全くリンクしないのです。仕事しないで窓際部署でのらりくらりするのが一番効率的というどうしようもなさ…。真面目に仕事すると、激務部署にまわされてこき使われた挙句、給料は窓際部署と同じ、という未来が待っています。)このまま早世した日には、化けて出るしかない虚しさ。

じゃあなんでさっさと辞めないかといえば、自分が漫画描きとしてやっていけるのかという不安があったのです。

先輩の訃報によって、そこに「漫画描きは本当に自分の求める幸せなのか?」という不安が追加されたのです。

…そして、鯖母の監視がなくなった今、この3年のうちに二足のわらじで試してみたいなと思っております。
チキンですが、後戻りできる道を確保して、やってみようと。自分が壊れずにできる方法を探そうと。

さすがに県外までは毎週来たりできまい。仕事しながらの原稿描きは、土日祝日、睡眠時間、閑散期の有給休暇をつぎ込まざるをえないものですが、自宅生活でこれをしようとすると「仕事に悪影響がある」と嫌味をぶつけられるのです…。己が娘が仕事に影響が出ないようにしている、といくらいってもそれを信用できずに、邪魔してくるんですよね…。仕事に影響が出ないように(ある意味趣味のように)漫画描くのも止めさせたいらしいです。別に犯罪したいとか言ってるわけでもないのに。

モノカキ志望者がとりあえず職を持って、それで生活資金を確保しながら執筆、というのは王道だと思うんですが。いきなり当てもなく仕事やめてくるよりいいと思うんですが。そんなに娘が信用できないんだろうか。というか、それすらも三十路間近になって家を無理やり出るまで出来なかった自分って一体…。

ひとまず頑張ります。おそらく江戸営業所には3年いさせてもらえると思うので、その間に嫁に行くあてを見つけることとデビューして目処をつけることが目標です。幸い、前の事務所より仕事のボリュームは少ないので(飲み会は多いですが。)
鯖拝

nophoto
ゾウムシ
2007年5月11日11:42

いろいろ書いてしまってご負担を掛けただけだと心配していましました.
ちょうど生活が大きく変わる時期だったのですね.
そんなときに長々とすみません.
陰ながらですが応援しています.
鯖

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索