続いているから
2004年8月15日5月のとある日記の続きです。(8月17日)
* * * * * *
いないことは分っていたけれども、彼の姿を探してしまいました。
表彰台の一番高いところに並んだ6人に、もちろん彼は含まれていませんでした。現地までは同行したらしいけれども、結局、フロアに立つチャンスは回ってこなかったようです。
彼はどんな気持ちでいたのかと思うと、私のほうがチームの素晴らしい成績を素直に喜べないほど、胃のところがキューッとしました。涙が出そうになった。
私は、彼がチームの一員として出場していても、きっと同じ成績が、いやもっと素晴らしい結果が待っていたと信じています。
でも、複雑だろうなあ。
ほんの少しの、かつての(選手選考会のときの)自分の着地の乱れやタイミングのずれ、よろつきなんかを、彼はとても悔いて自分を責めたんじゃないかと思う。あれがなければ、今頃自分があそこに立っていたのに、と。何故あそこで自分は踏みとどまれなかったのだろう、ベストは尽くしたはずなのに、終わってしまえば、もっと出し尽くせたかもしれないような気がしてしまうもどかしさ。
それは彼の勝負弱さだと言われてしまえばそれまでかもしれないけれども。
結果が出てうずくまった姿が忘れられない。
とある部分で、チームが出遅れた時(それは、その部分を重点強化する選手選考基準のために、彼が選考から漏れてしまった部分でもあった)、私でさえ「せっかく補強したはずのここで出遅れるんだったら、彼を出しておいた方が、(彼が得意としている)別の部分で稼げたのに」と苦々しく思った。
口には出さなくても、彼もそう思っていたのかな。だったら余計辛いよなあ。
でも、あれくらいのトップレベルになったら、それはそれで切りかえられるのかな。積み重ねがある限り、完全に切りかえることは出来ないと思うけれども。
自分が立っていたかもしれないフロア。
自分が、後少しのところまで来ていた、でも届かなかったフロア。
そして表彰台…。
結果が出たということは、その選考は妥当であったといえるのかもしれないけれども、彼という1人の選手の競技人生には、あまりにも影響が大きすぎたと思う。自分が出られなくて、その結果があの好成績だったなんて、考えたくないことだろう。
彼の努力が足りなかったとは全然思わないし(そうでなくても、内定していた国際大会への参加がテロでポシャったり、大学の練習場が火事になったりと、なかなかの苦労人らしいし)、でもなにかが足りなかったのかもしれないけれど、それはどうしようもないことじゃないかと思う。
何かしていれば良かったとも言えないと思う。
どうしていればよかったのかとか、いろいろ。
まあ、私がそんなことをあれこれ言ってもしょうがないんだけれども。
でも、競技を辞めないで欲しいなあ。
一流選手がその能力を維持するために必要とするトレーニングが過酷なことは、素人の私にさえある程度は想像がつきます。続けるために、ものすごい気力やモチベーションを必要とすることも想像できます。
でもこうなったらいっそ、北京を目指して欲しい。
もう、いざとなったら鯖が4年間食わしてやるからガツンと北京目指して来いと言いたいくらい。今って、選手生命がどんどん長くなっているじゃない?30歳のアスリートなんて全然珍しくないよ。30歳すぎても、経験やテクニック面だけじゃなくて、身体能力の方も進化していってるアスリートはたくさんいるって。アンタなら大丈夫だ!
今まで10代が当たり前だと思われていた競技で、バンバン20代後半の選手が好成績を収めているし(水泳とか女子の体操とか)他の国でも、30歳前後の代表選手もいるし。
※彼も鯖に食わしてもらってまで行きたいと思ってくれるだろうか?(笑)
そもそももう15年くらい会ってないんですけど。それ以前に、同じ学校に通っていた頃でさえ、ロクに付き合いはなかったのですが。覚えてないだろうなあ、私のこと。ここを見てるとも思えんし。
あっ、そういえば、あの頃の共通の知人で、今の私の連絡先知ってる人って、○○ちゃん(既婚。現在江戸に居住。)くらいしかいないんだけど、彼が○○ちゃんと連絡取ってるとは思えないしな。
※じゃあ無理じゃん(爆笑)
なんで今になってこんなに思い入れしてるんだか。
きっと、そこそこの学校を出て、そこそこの会社で、地味にOLやっている自分の日常が、他人から見れば安定していて良さそうに見えるのかもしれないけれども、自分としては、彼のように高みを目指している人への憧れが隠せないから、自分とほんのわずかだけれどもかかわりのあった人が、自分のかわりに「夢を実現する」という行為に取り組んでくれていることが誇らしいのかもしれない。
そもそも、あの場に出られるのは何百人も何千人も、それこそ何万人もいる選手のほんの一握りだ。素晴らしい才能や実力があっても、ケガでタイミングを逃したり、能力のピークが開催時期と合わないで選手生活を終える場合だってたくさんある。
そんななかで、届きそうだった彼に、私のエゴですが、あの場を諦めて欲しくないのだ。
彼はあの場に相応しい人間だと思うから。
この文章を打つ前に、関係ファンサイトをばーっと回って、テンションを高めた。
彼を応援する文章もたくさんあって、(あの2ちゃんねるの掲示板の中にさえも、彼を代表メンバーにいれたかった、という発言があった)自分のことのように嬉しかった。
9月にk奈川で、代表クラスの選手をあつめた演技会があって、それに彼も参加する予定らしいから、そのまま辞めてしまったりはしないと思うけれども。モチベーションが維持できていると良いな。
頑張れという言葉は、これ以上ないくらい頑張っていた彼に相応しくないから使いたくない。
北京への道は続いていると信じてます。
* * * * * *
いないことは分っていたけれども、彼の姿を探してしまいました。
表彰台の一番高いところに並んだ6人に、もちろん彼は含まれていませんでした。現地までは同行したらしいけれども、結局、フロアに立つチャンスは回ってこなかったようです。
彼はどんな気持ちでいたのかと思うと、私のほうがチームの素晴らしい成績を素直に喜べないほど、胃のところがキューッとしました。涙が出そうになった。
私は、彼がチームの一員として出場していても、きっと同じ成績が、いやもっと素晴らしい結果が待っていたと信じています。
でも、複雑だろうなあ。
ほんの少しの、かつての(選手選考会のときの)自分の着地の乱れやタイミングのずれ、よろつきなんかを、彼はとても悔いて自分を責めたんじゃないかと思う。あれがなければ、今頃自分があそこに立っていたのに、と。何故あそこで自分は踏みとどまれなかったのだろう、ベストは尽くしたはずなのに、終わってしまえば、もっと出し尽くせたかもしれないような気がしてしまうもどかしさ。
それは彼の勝負弱さだと言われてしまえばそれまでかもしれないけれども。
結果が出てうずくまった姿が忘れられない。
とある部分で、チームが出遅れた時(それは、その部分を重点強化する選手選考基準のために、彼が選考から漏れてしまった部分でもあった)、私でさえ「せっかく補強したはずのここで出遅れるんだったら、彼を出しておいた方が、(彼が得意としている)別の部分で稼げたのに」と苦々しく思った。
口には出さなくても、彼もそう思っていたのかな。だったら余計辛いよなあ。
でも、あれくらいのトップレベルになったら、それはそれで切りかえられるのかな。積み重ねがある限り、完全に切りかえることは出来ないと思うけれども。
自分が立っていたかもしれないフロア。
自分が、後少しのところまで来ていた、でも届かなかったフロア。
そして表彰台…。
結果が出たということは、その選考は妥当であったといえるのかもしれないけれども、彼という1人の選手の競技人生には、あまりにも影響が大きすぎたと思う。自分が出られなくて、その結果があの好成績だったなんて、考えたくないことだろう。
彼の努力が足りなかったとは全然思わないし(そうでなくても、内定していた国際大会への参加がテロでポシャったり、大学の練習場が火事になったりと、なかなかの苦労人らしいし)、でもなにかが足りなかったのかもしれないけれど、それはどうしようもないことじゃないかと思う。
何かしていれば良かったとも言えないと思う。
どうしていればよかったのかとか、いろいろ。
まあ、私がそんなことをあれこれ言ってもしょうがないんだけれども。
でも、競技を辞めないで欲しいなあ。
一流選手がその能力を維持するために必要とするトレーニングが過酷なことは、素人の私にさえある程度は想像がつきます。続けるために、ものすごい気力やモチベーションを必要とすることも想像できます。
でもこうなったらいっそ、北京を目指して欲しい。
もう、いざとなったら鯖が4年間食わしてやるからガツンと北京目指して来いと言いたいくらい。今って、選手生命がどんどん長くなっているじゃない?30歳のアスリートなんて全然珍しくないよ。30歳すぎても、経験やテクニック面だけじゃなくて、身体能力の方も進化していってるアスリートはたくさんいるって。アンタなら大丈夫だ!
今まで10代が当たり前だと思われていた競技で、バンバン20代後半の選手が好成績を収めているし(水泳とか女子の体操とか)他の国でも、30歳前後の代表選手もいるし。
※彼も鯖に食わしてもらってまで行きたいと思ってくれるだろうか?(笑)
そもそももう15年くらい会ってないんですけど。それ以前に、同じ学校に通っていた頃でさえ、ロクに付き合いはなかったのですが。覚えてないだろうなあ、私のこと。ここを見てるとも思えんし。
あっ、そういえば、あの頃の共通の知人で、今の私の連絡先知ってる人って、○○ちゃん(既婚。現在江戸に居住。)くらいしかいないんだけど、彼が○○ちゃんと連絡取ってるとは思えないしな。
※じゃあ無理じゃん(爆笑)
なんで今になってこんなに思い入れしてるんだか。
きっと、そこそこの学校を出て、そこそこの会社で、地味にOLやっている自分の日常が、他人から見れば安定していて良さそうに見えるのかもしれないけれども、自分としては、彼のように高みを目指している人への憧れが隠せないから、自分とほんのわずかだけれどもかかわりのあった人が、自分のかわりに「夢を実現する」という行為に取り組んでくれていることが誇らしいのかもしれない。
そもそも、あの場に出られるのは何百人も何千人も、それこそ何万人もいる選手のほんの一握りだ。素晴らしい才能や実力があっても、ケガでタイミングを逃したり、能力のピークが開催時期と合わないで選手生活を終える場合だってたくさんある。
そんななかで、届きそうだった彼に、私のエゴですが、あの場を諦めて欲しくないのだ。
彼はあの場に相応しい人間だと思うから。
この文章を打つ前に、関係ファンサイトをばーっと回って、テンションを高めた。
彼を応援する文章もたくさんあって、(あの2ちゃんねるの掲示板の中にさえも、彼を代表メンバーにいれたかった、という発言があった)自分のことのように嬉しかった。
9月にk奈川で、代表クラスの選手をあつめた演技会があって、それに彼も参加する予定らしいから、そのまま辞めてしまったりはしないと思うけれども。モチベーションが維持できていると良いな。
頑張れという言葉は、これ以上ないくらい頑張っていた彼に相応しくないから使いたくない。
北京への道は続いていると信じてます。
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