ISBN:4093860726 単行本 片山 恭一 小学館 2001/03 ¥1,470
↑ハードカバーの本って、高いですよね。その分、質も量も要求したくなるのが貧乏人の性。最近は文庫本も高くなりました…。この前、エリアデ買おうとしたら、文庫本なのに2000円もするので、断念しました。別のヤツから買いますか。ま、マイラヴ澁澤先生は平気で30万くらいする超豪華限定愛蔵版の本とか出してたらしいですけれども(私的に?)そのためだったらボーナス全部(足りないけど)つぎ込むね。

ちょっと毒吐きなので、もし「世界の中心で愛を叫ぶ」が、人生のバイブル、みたいに思っていらっしゃる方がおいででしたら、読まずに流してください。ま、そういう内容ですので。

正直言って、わざわざハードカバーで買うほどではないと思っておりました。そんな財布の余裕があれば「博士の愛した数式」とか「ハリー・ポッター」第5部2冊組を買う。いや、愛する澁澤先生の御本を買うよ。この手の予想は当たるのです。
※でも、S台駅前の某書店で澁澤先生翻訳シリーズもの完結記念フェアをやっていたのに遭遇し、そこに並んでいる文庫本は半分くらい所有し(ほとんど河出文庫。笑)、残りの半分くらいも1度は大学の図書館で全集を借りて読んでいた。

結構買ってるじゃん!(ノ-o-)ノ ┫:・’.::

でも、そのうちまた買っちゃうんだ。愛蔵版とか(笑)

でも、何故だか分りませんが、鯖妹(←流行りもの大好き)が所持していたので、借りて読みました。鯖妹が読んだのかどうかは知りませんけど。

で、どのへんが泣きポイントなんですか?

真剣に分らないんですけど。いつ泣けるんだと思いながら読んでるうちに終わってました。

通勤電車で乗り合わせた女子高生数名が映画を見に行った感想について話し合っていたのを後ろで立ち聞いたところ、サク(主人公の男子高校生)がアキ(ヒロイン)をつれて、オーストラリアだかに行こうとして、アキ(重病らしい)が体調を崩し、「助けてください!」と叫ぶシーンだけが泣けた、という話でしたので、そこくらいは何か感じるものがあるかと期待していたのですが。
※そこは、テレビでも宣伝のために流していましたね。

そこも泣けなかったんですけど。

どこだったら泣けたんでしょうか。(←真剣に)

それどころか、全体的に、あ、何か、男の人が、憧れや観念や妄想や夢やイメージだけで書いた学園小説(しかもデキはあんまり良くない)という印象しかないんですけど。言い過ぎですかね。

いや、むしろ折@みとか、そっちよりなのか。あの手の話としては、コバルト文庫あたりをあされば、もっと出来のいいヤツがゴロゴロしてるんでは。純文学の中だったら、「野菊の墓」あたりの方が淡々としていて泣けますよ?
柴崎コウが誉めちゃったから、皆そういう気持ちになって読んだのかなあ。それはたまたま柴崎コウのツボに入っただけで、そういうきっかけでもないと本が売れないというのは哀しいです。

タイトルからして「世界の中心で愛を叫んだケモノ」のパクリだと思うんですが。というか露骨にそうでしょう。言語の組み合わせには数的限界がありますから、ある程度重なる一般的言いまわしが存在するのは仕方がないと思いますが、これはやりすぎではないかな。
※これについては、作者はもともと別のタイトルを考えていたが、編集者との打合せで現在の形になったそうなので、一概に批判はできませんけど。

文体は素直だし、分量も少ないので、読みやすくはありましたが、それだけという印象。
偶然ですが、ネットサーフして見つけて読んでいたアマチュア作家さんのネタとかぶっていて(そちらの方が早く発表されていたので、盗作云々という問題はないと思われます。むしろ、祖父の昔の恋人、周りに反対されて引き裂かれた、というのはもはやスタンダート設定なのではないかと。)、そっちのほうがずっとまわりの人間関係やら当事者以外の心情まで踏み込んで練られた展開で、良く出来ている作品だと思ったくらいです。(あれじゃお祖母さんの立場ないよな。)

皆、あれで泣けるって凄いなあ…。涙腺ハードルの方向性の違いなのか、アタシゃダメだったよ。分量的な読み応えだったら、あれの2〜3倍は欲しいし(改行が多いですよね…。下半分をブチ切ればメモ帳になる、と揶揄されたかつてのティーン@ハート文庫のようだ。)、短い中での読み応えだったら、もっと言葉そのものの美しさだとか、ストーリー性、心情描写が欲しい。

恋人が重病、ってのも、病気やハンディ出しておけば泣けるだろ、ってのが最近のドラマの定石みたいになっていることに反発を感じる私としては、減点材料でしかなかった。
※そもそも死にネタってのは反則でしょう。

※さらに、その病気の健気さも、ちょっと前までテレビでやってた「電池が切れるまで」の子供のリアリティの方がぐっと迫るものがあった。所詮、闘うリアリティだったら、ノンフィクションのドキュメンタリーにかなわないのだから、小説が追求すべきはそこではないと思う。

そういうのでなく、もっと「うわ、そうきたか」みたいな、死ぬ死なないではない、それ以前の気持ちみたいなので、泣かせて欲しいのですよ。日常に埋没しそうな襞というか。
※かといって、浅田次郎さんの「鉄道員(とかいてぽっぽや)」みたいに「さあ泣け!」と言わんばかりのもちょっと…。あの短編集では「Love letter」というのが好きでした。

へえ、今ってこういうのが泣けるのね、ともはや学習モードで読みました。(13へぇくらいで)
これがいけないのか?構えてるのが。これで泣けないと今時の若者ではないのか?
いや、無理だろう、あれ。

でも、愛読書赤毛のアンシリーズの「アンの友達」とか「アンを巡る人々」といった短編集だと、本当に20〜30ページくらいの何気ない日常の描写でもワタクシ、ボロボロ泣きますよ?
人が死ぬにしても、もういいトシのおばあちゃんが靜かに老衰で亡くなっていくような感じで、でもその気高さやら切なさに泣きますよ?どうしようもない昔の恋のこととかで。

ああ、そうか、どうしてもその「死」の扱い方に軽さというか、安っぽさというか、綺麗なイメージみたいなのばかりを感じてしまったんだな、あの作品の場合…。
まあ、そのへんは読む人の好みかもしれませんけど。

とりあえず、予想通りに期待はずれでした。はい。ま、こんなもんだろうと思っていた通りか。
本当にスバラシイと思って読みきった人と、流行っているから、とりあえず読んでみたという人と、どれくらいの割合なのかしらと思いました。(鯖さんは確実に後者)

コメント

鯖

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