そんなことよりも
2004年6月7日鯖父は、ときどき甘いものをお土産に買ってくるのです。
駅前の評判のケーキ屋さんのチーズケーキとか、アップルパイとか。
それは時にはお団子だとかお餅だったり、肉まんだったりすることもあります。
私はときどきそれが切なくなる。
今のところ(私の職場の方が鯖父の職場よりも遠いこともあり)、私は一番後に帰宅し、自分以外の家族が食事を終えた食卓について、レンジで料理を温め、一人で夕食を取ることが多い。
そうやって、私がもぐもぐと咀嚼しているところに鯖母が「お父さんが買ってきてくれたのよ」と言いながら、お菓子を出してくるのです。「皆はもう食べてしまったから、これがお姉ちゃんの分ね」
私も甘いものは好きなので、喜んでそれを食べる。
でも、喜んでいるのに切なくなる。
そんなことしなくても、お父さんのことは好きなのにな、と。
もしかしたら、そうやって何かを買ってくることでしか、私たち家族への気持ちを表現する術を持たないのだったら、その父の不器用さが切ない。
逆に、じゃあどうしたらいいのさ、といわれたら、別に何もしなくても良いんだけど、と思う。
多分、仕事そのものがラヴで、人生=仕事なひとではないと思うので(私の父親だけあって。)、働かなければ食べて行けないと言う現実のなかで、妻や子を抱えているから、その義務感で働いているのだと思う。
そうやって、気力や時間を費やして得たお給料で、人生そのもののお給料で私たちを養い育ててくれているのだから、それ以上に何もしてくれなくていいのになあと思うことがある。そんなことまでしてくれなくても、彼が私たちを大切にしてくれていることは痛いほど感じるのに。
もっと好きなことに注ぎ込めば良いのになと思う。
お金をつぎ込むことが全てではないと思うけれども、ある意味、自分の時間を売って得たお金をつぎ込むことは、究極の愛情表現ではないかと思うこともある。
私などは、私の相手への気持ちやら、私の時間やらが、与えられても、相手にとっては全く価値を見出せないものであることを極度に恐れるあまり、外れることのない、「お金(もしくはそれで購入した物品)」を与える行為に偏ってしまいそうな気がする。他に表現する術を、拒否されない術を知らないから。
ま、鯖父も甘いもの好きなので、単純に自分が食べたいだけで、回りに「甘いものばっかり食べてるおじさん」と思われるよりも、「家族へのお土産を買う優しいパパ」というポーズを取ってるだけなのかもしれないんですけどね。
そんな鯖父の今日のお土産は「抹茶白玉鯛焼き」でした。
鯛焼きも進化してるんですね…。もう、クリーム鯛焼き程度じゃダメなんですね。
生地に抹茶を練り込んだだけでもダメで、中に白玉まで入れなきゃだめなんですね。
尻尾まであんこが入っている(鯖はそこまであんこの入っていない、生地の美味しい鯛焼きの方が好きなんですけれども)ような、ノーマル鯛焼きをとつとつと作って生きていくのも難しいのか。
次から次へと改良やら追加やらを余儀なくされる、その忙しなさ、息苦しさ。
いつになったら立ち止まれるのだろうかと怖くなる。鯛焼きはどこまで複雑化するのか。
そのうち変化しすぎて鯛焼きとしてのアイデンティティを保つのも難しくなるんじゃないだろうか…。
その変化して行く鯛焼きに、真面目にやってるだけじゃダメなんだ、次から次へと刺激を、新しさを、今までにないものを、と要求される今の世の中を感じました。
※というのも、職場で、「自己評価シート」なるものがトップダウンで採用され(今頃かよ…)その内容が、「去年と同じレベル」ではマイナス評価になるというものなのです。
というか、鯖さんの職務内容は、目標としては「作成ミスをしない」に集約される内容で、アップのしようもないようなもんなのですが。(経理の給料担当みたいなものですね。キッチリ、ミスなく仕事をすることが前提であり、全てでもある、みたいな。スピードアップや業務軽量化も限界があるし。)マニュアルの作成なんかも、永久に毎年やっていくようなものでもないし。どうしろというのか…。別に給料アップしなくてもそれは仕方ないんですけれども。
駅前の評判のケーキ屋さんのチーズケーキとか、アップルパイとか。
それは時にはお団子だとかお餅だったり、肉まんだったりすることもあります。
私はときどきそれが切なくなる。
今のところ(私の職場の方が鯖父の職場よりも遠いこともあり)、私は一番後に帰宅し、自分以外の家族が食事を終えた食卓について、レンジで料理を温め、一人で夕食を取ることが多い。
そうやって、私がもぐもぐと咀嚼しているところに鯖母が「お父さんが買ってきてくれたのよ」と言いながら、お菓子を出してくるのです。「皆はもう食べてしまったから、これがお姉ちゃんの分ね」
私も甘いものは好きなので、喜んでそれを食べる。
でも、喜んでいるのに切なくなる。
そんなことしなくても、お父さんのことは好きなのにな、と。
もしかしたら、そうやって何かを買ってくることでしか、私たち家族への気持ちを表現する術を持たないのだったら、その父の不器用さが切ない。
逆に、じゃあどうしたらいいのさ、といわれたら、別に何もしなくても良いんだけど、と思う。
多分、仕事そのものがラヴで、人生=仕事なひとではないと思うので(私の父親だけあって。)、働かなければ食べて行けないと言う現実のなかで、妻や子を抱えているから、その義務感で働いているのだと思う。
そうやって、気力や時間を費やして得たお給料で、人生そのもののお給料で私たちを養い育ててくれているのだから、それ以上に何もしてくれなくていいのになあと思うことがある。そんなことまでしてくれなくても、彼が私たちを大切にしてくれていることは痛いほど感じるのに。
もっと好きなことに注ぎ込めば良いのになと思う。
お金をつぎ込むことが全てではないと思うけれども、ある意味、自分の時間を売って得たお金をつぎ込むことは、究極の愛情表現ではないかと思うこともある。
私などは、私の相手への気持ちやら、私の時間やらが、与えられても、相手にとっては全く価値を見出せないものであることを極度に恐れるあまり、外れることのない、「お金(もしくはそれで購入した物品)」を与える行為に偏ってしまいそうな気がする。他に表現する術を、拒否されない術を知らないから。
ま、鯖父も甘いもの好きなので、単純に自分が食べたいだけで、回りに「甘いものばっかり食べてるおじさん」と思われるよりも、「家族へのお土産を買う優しいパパ」というポーズを取ってるだけなのかもしれないんですけどね。
そんな鯖父の今日のお土産は「抹茶白玉鯛焼き」でした。
鯛焼きも進化してるんですね…。もう、クリーム鯛焼き程度じゃダメなんですね。
生地に抹茶を練り込んだだけでもダメで、中に白玉まで入れなきゃだめなんですね。
尻尾まであんこが入っている(鯖はそこまであんこの入っていない、生地の美味しい鯛焼きの方が好きなんですけれども)ような、ノーマル鯛焼きをとつとつと作って生きていくのも難しいのか。
次から次へと改良やら追加やらを余儀なくされる、その忙しなさ、息苦しさ。
いつになったら立ち止まれるのだろうかと怖くなる。鯛焼きはどこまで複雑化するのか。
そのうち変化しすぎて鯛焼きとしてのアイデンティティを保つのも難しくなるんじゃないだろうか…。
その変化して行く鯛焼きに、真面目にやってるだけじゃダメなんだ、次から次へと刺激を、新しさを、今までにないものを、と要求される今の世の中を感じました。
※というのも、職場で、「自己評価シート」なるものがトップダウンで採用され(今頃かよ…)その内容が、「去年と同じレベル」ではマイナス評価になるというものなのです。
というか、鯖さんの職務内容は、目標としては「作成ミスをしない」に集約される内容で、アップのしようもないようなもんなのですが。(経理の給料担当みたいなものですね。キッチリ、ミスなく仕事をすることが前提であり、全てでもある、みたいな。スピードアップや業務軽量化も限界があるし。)マニュアルの作成なんかも、永久に毎年やっていくようなものでもないし。どうしろというのか…。別に給料アップしなくてもそれは仕方ないんですけれども。
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