おまもり
2003年7月15日特に何という感慨もなく、電卓を叩いている間に1日が終わっているような気がします鯖です、皆様いかがお過ごしでしょうか。
ワタシの青春(←自称)はこうやって過ぎて行くのNe!(ネオン。原子番号10.原子量20.18)
いや、そんなことより、小畑先生、ヒカ碁の最終巻の表紙を飾る意外な二人って誰なんですか!!
※今週のWJの巻末コメントで、来月あたりに発売予定のヒカ碁23巻の表紙は意外なふたり、とのコメントが小畑先生からなされた。
もしかして、加賀と筒井さんですか?
※ありえない。
…多分、佐為と秀策とか、佐為と塔矢名人とかそんなところなのでしょうけれども。
夢くらい見たっていいじゃないかよゥ、とばかりに「加賀と筒井」だと信じている鯖(←痛い)
さて、枕はそのくらいとして…。
鯖の財布には1枚の切符が入っております。
西武池袋線の某駅で買ったもので、日付はもう3年ほど前のものです。
ちょうど働き始めて数ヶ月で、江戸に出張に行かせてもらえることになったときに買ったものです。
出張がえりに、ずっと愛読していて、いまも愛読している某作家さんの御自宅の最寄駅(推定)に足を伸ばして買いました。
※つーか、何本か日常エッセイのようなものを読むと、かなり狭められるもんですね。ちなみに、鯖がコラムから推定した最寄駅は、その後に別ルートから判明した正しい最寄駅から2駅違いでありました。←そして別ルートって何ですか、鯖さん。怖いですよ。
彼のエッセイというかコラムに登場する商店街を抜け、いつか自分もここに住むんだ、というようなトキワ荘的な感慨にふけり、彼の御方の御自宅(推定)に停めてある自転車を横目で眺めて、まるで電柱の陰から飛雄馬を見守る明子姉ちゃんのごときたたずまいで路地にたたずんでいたのです(←怪しい)
もちろん御本人を拝謁することなどかないませんでしたが、憧れでしかなかった御方の生活空間というのは、ものすごいインパクトがありました。
ああ、あの御方も生きているんだな、というか、自分が二次元に近いヴァーチャル空間で思いを寄せているヒトが、現実に存在しているんだという喜び。←落ちつけ。
最後には、きっと周辺の空気に、彼の御方のオーラが溶け込んでいて、呼吸する度に自分の中に入っているんだ、というような、ある意味、ヤバい精神状態に(笑)
その頃の鯖は、普通の事務員になることを考えていなかったのに、流されるように就職し、いったい自分はどうなるんだろうという不安と、周りの考える「安定」に流された自分への不甲斐なさで、グラグラしていた時期でした。
だから、自分の尊敬するヒトが日常を過ごしている空間で、なにかパワーをもらいたかった。何かもらえるような気がしていた。不安定な日常に押しつぶされないで、這い上がれる気持ちになりたかった。
自分の尊敬するヒトが日常を過ごしている空間は、自分の知っている町並みと同じようでいて、どこか空気が違っているような気がしました。
あの憧れのヒトも、こんな日常の、自分が暮らしているのと変わらないような場所で生きているんだ、自分もあのヒトも条件は同じなんだ、あとは自分が頑張れるかどうかなんだ、と思う一方で、いつか自分もこの町並みに暮らすんだ、と思いました。何の根拠もなく。
あの世界に行くんだ、と。
しかし、あれから3年たちますが、情けないことに現状は変わっていないです。
変わらずあの紙片は鯖の財布の中にあり、自分は3年前と同じ毎日を、どこか不完全燃焼で暮らしています。
自分は毎日毎日をきちんと生きて行けているだろうか?
あの商店街へつながる毎日を生きているだろうか?
あの空気が自分の周りに広がるような生き方を出来ているだろうか?
時々、財布からその紙片を取り出して、流されそうになる自分を戒めなければと思うのです。
あの紙片は、憧れの人の生活空間から取り出されたものであって、その紙片を手放さない限り、いつかそこに辿り着けると思うから。
一方で、いつまでもそれに拘りつづけているから、足ぶみを続けてしまうのかもしれないと思う。捕われているから、グルグルと堂々巡りをしているのかもしれないと思う。
そんな時は衝動的に、紙片を捨ててしまおうかと思いますが、でも何度も思いとどまる。
あの小さな紙片は、自分の弱さと憧れと、いろんなものの象徴だから。
ワタシの青春(←自称)はこうやって過ぎて行くのNe!(ネオン。原子番号10.原子量20.18)
いや、そんなことより、小畑先生、ヒカ碁の最終巻の表紙を飾る意外な二人って誰なんですか!!
※今週のWJの巻末コメントで、来月あたりに発売予定のヒカ碁23巻の表紙は意外なふたり、とのコメントが小畑先生からなされた。
もしかして、加賀と筒井さんですか?
※ありえない。
…多分、佐為と秀策とか、佐為と塔矢名人とかそんなところなのでしょうけれども。
夢くらい見たっていいじゃないかよゥ、とばかりに「加賀と筒井」だと信じている鯖(←痛い)
さて、枕はそのくらいとして…。
鯖の財布には1枚の切符が入っております。
西武池袋線の某駅で買ったもので、日付はもう3年ほど前のものです。
ちょうど働き始めて数ヶ月で、江戸に出張に行かせてもらえることになったときに買ったものです。
出張がえりに、ずっと愛読していて、いまも愛読している某作家さんの御自宅の最寄駅(推定)に足を伸ばして買いました。
※つーか、何本か日常エッセイのようなものを読むと、かなり狭められるもんですね。ちなみに、鯖がコラムから推定した最寄駅は、その後に別ルートから判明した正しい最寄駅から2駅違いでありました。←そして別ルートって何ですか、鯖さん。怖いですよ。
彼のエッセイというかコラムに登場する商店街を抜け、いつか自分もここに住むんだ、というようなトキワ荘的な感慨にふけり、彼の御方の御自宅(推定)に停めてある自転車を横目で眺めて、まるで電柱の陰から飛雄馬を見守る明子姉ちゃんのごときたたずまいで路地にたたずんでいたのです(←怪しい)
もちろん御本人を拝謁することなどかないませんでしたが、憧れでしかなかった御方の生活空間というのは、ものすごいインパクトがありました。
ああ、あの御方も生きているんだな、というか、自分が二次元に近いヴァーチャル空間で思いを寄せているヒトが、現実に存在しているんだという喜び。←落ちつけ。
最後には、きっと周辺の空気に、彼の御方のオーラが溶け込んでいて、呼吸する度に自分の中に入っているんだ、というような、ある意味、ヤバい精神状態に(笑)
その頃の鯖は、普通の事務員になることを考えていなかったのに、流されるように就職し、いったい自分はどうなるんだろうという不安と、周りの考える「安定」に流された自分への不甲斐なさで、グラグラしていた時期でした。
だから、自分の尊敬するヒトが日常を過ごしている空間で、なにかパワーをもらいたかった。何かもらえるような気がしていた。不安定な日常に押しつぶされないで、這い上がれる気持ちになりたかった。
自分の尊敬するヒトが日常を過ごしている空間は、自分の知っている町並みと同じようでいて、どこか空気が違っているような気がしました。
あの憧れのヒトも、こんな日常の、自分が暮らしているのと変わらないような場所で生きているんだ、自分もあのヒトも条件は同じなんだ、あとは自分が頑張れるかどうかなんだ、と思う一方で、いつか自分もこの町並みに暮らすんだ、と思いました。何の根拠もなく。
あの世界に行くんだ、と。
しかし、あれから3年たちますが、情けないことに現状は変わっていないです。
変わらずあの紙片は鯖の財布の中にあり、自分は3年前と同じ毎日を、どこか不完全燃焼で暮らしています。
自分は毎日毎日をきちんと生きて行けているだろうか?
あの商店街へつながる毎日を生きているだろうか?
あの空気が自分の周りに広がるような生き方を出来ているだろうか?
時々、財布からその紙片を取り出して、流されそうになる自分を戒めなければと思うのです。
あの紙片は、憧れの人の生活空間から取り出されたものであって、その紙片を手放さない限り、いつかそこに辿り着けると思うから。
一方で、いつまでもそれに拘りつづけているから、足ぶみを続けてしまうのかもしれないと思う。捕われているから、グルグルと堂々巡りをしているのかもしれないと思う。
そんな時は衝動的に、紙片を捨ててしまおうかと思いますが、でも何度も思いとどまる。
あの小さな紙片は、自分の弱さと憧れと、いろんなものの象徴だから。
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