さて、S台では初雪が降りました。
しかし、無暖房の部屋で寝起きしております鯖です。皆様、いかがお過ごしですか。
寒いです(当たり前だ)

温風では乾燥して咽るし、加湿器を置くと結露が出る上に蔵書(とゆーかマンガ)がベコベコになるのがイヤなので、鯖部屋には石油ストーブが設置されております。
しかし、鯖部屋は紙ばかりの可燃物の宝庫で、さらにめちゃくちゃに散らかっているため、片付けるまでストーブの使用が鯖母から禁止されているのでした。

10年ほど前の、カステラの名曲「石油ストーブ」が思い出されますね。
※「石油ストーブ」…「ぼく」が「木村君」(だったと思う)から、石油ストーブを譲り受け、石油を買いに行き、暖かストーブライフを満喫していたところ、出火し、何もかもは燃えてしまう、という大変切ない歌。
カステラと言えば、この曲しかろくに浮かんできません。あとは断片的に「喪服の女・とても綺麗〜」とか「頭を回すと世界が回る」とか。そういう曲ばかりのバンドなのでしょうか。ジャケット写真がダチョウだったような記憶もあります。

さっさと片付ければいいのは分かっているのですが、それができるのなら、今だってこんな散らかった部屋で生活しているわけがないのです。
そういえば、数年前は、そうやってそのままストーブ無しで冬を越しました。アホです。
しかし、さすがにもうそんな、頑なに半袖半ズボンを貫く小学生男子のようなことはしたくないので、そろそろ片付けなくては…。命に関わります。
※去年は、ダラダラと片付けずに寒さに耐えている内に、机上の筆洗の水に氷が張っているのに気づき、人としてこんな部屋で生活していてはいけないな、とようやく片付けたのでした。

※そして、もちろん、今はストーブ無しの部屋でこれを書いております。

そして、今日のお題は「正しいファンのあり方」です。脈絡がないですね。

いつも思うのですが、このファンとしての切ないまでの愛を、お金以外のもので表すことはできないのか、お金というファクターを通さずに、相手に還元できないのか、ということです。

今も貧乏性ですが、学生の時はあんまりバイトもしてなかったので、娯楽に注ぎ込むお金はあまりありませんでした。そんな鯖は、CDはめったにかわず、FM放送から録音して、テープで聞いていました。もともと音質とか気にしない大雑把なタイプなので。
※そういえば、ここ数年、ヲタクCDと中古CDを除くと、ほとんどCD買ってないな。多分、2年くらい前に、唐突に買ったイギー・ポップまで遡る。

例えば、大黒摩季さんの「あぁ」など、大学受験に失敗した時から、通算7年ばかり、落ち込んだ時の定番復活ソングとして、何度となくテープ聞きました。
曲への思い入れとか、ありきたりな表現だけど、感謝の気持ちとか、そういうのはかなり濃厚です。
何度も何度もテープを聞いて、延びるまで聞いて。

…でも、大黒さんにはそれが還元されてないんでしょうな。

ファンレターを書くとかすればいいのでしょうが。

そしてぼんやりと、仮に、その「あぁ」のCDを何らかの理由で10枚ばかり買い、聞かずにしまいこんでいるヤツを想定しました。
そいつに比べれば、絶対鯖の方が曲を愛している。大黒摩季への思い入れがある。
だって、曲は聴いてなんぼ、でしょ?

でも、本当にそうなのか?

鯖の愛は、収入という形では、ぜんぜん報いれてない。
音楽活動をしている人にとっては、その曲が受け入れられることが一番だと思うのですが、その受け入れる行為を、代償(というか代金)を提供せずにしていても、それは鯖の自己満足でしかない?

それは、ファンとしてどうなのか?
いや、聞いてもらえることが一番、というかもしれないけど。しかし、それだけでは…。

新しい作品を発表した人が、「○月○日発売です、買ってね!」という度に、
「買えばいいんか?買いさえすれば聞かなくてもいいのか?」と思ってしまうのです。

買って、聞く(読む、楽しむ等)、両方するのがいいのだと分かっているのですが、買うという、お金を注ぎ込む、という行為を伴わない時、どこか後ろめたさを感じてしまう。
愛しているのに、愛していないような罪悪感を感じてしまう。本当の愛じゃないのか?ファンとして。
うーん。ま、鯖一人がこんなことを思っていても仕方がないのですが。
営利目的でない行為については、対象への思い入れで報いればいいと単純に思えるのですが、そこにお金が絡むとねえ。

というのも、テニプリがあれこれグッズを出すからなんですけどね。
くそー私の菊への愛を図ろうってのかよ…。いや、こんなんじゃない方法で、菊への愛を表現する方法があるはずだ。コノミンへは、コミックスを買うことで報いれてるはずだ、そうだ。

そうすると、コミックスを買わないファンは作品への愛はないってことか?いや、そんなことはないはず。そう、ないはずだ。

一読した記憶をもとに、繰り返し、繰り返し思い返して、作品をめでるその精神世界は、全く作品への還元にはなり得ないのか?やっぱり金使わなくちゃダメなのか?

うーん。

って、こんなこと考えてる間に部屋の掃除をして、ストーブをつけ、暖かくしてまた考えればいいのに。あほですな。

コメント

鯖

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索