終わったYOOOOO!

2002年7月15日
いや、一時は終わらないかと思いました。
データ入力。

特に、かなりやばくなってから、台風のせいで半日以上ロスした時は、どうしようかと思いましたね。

それでも大体終わった!あと10件くらい。でも、これは次の〆日でいいのだ。
良かった。
これで夏コミに心置きなく行けます(そこか。)

そして、今日の御題は長らく放置していたテリーについて。

日記を書くにあたって、近くの本屋さんでキャンディキャ●ディ全9巻を流し読みして来たんですが(取材を怠らない鯖。こういう時だけ。)

すげえ!大河ロマンだ。改めて思いますね。
最近のマンガは大ゴマ化してきて、増ページの傾向にあり、20巻、30巻なんてのも珍しくないのですが、たった9冊であの中身の濃さ。だって、キャンディの相手役だけでも3人出て来るんだよ?
※アンソニー、テリィ、アルバートさん(ウィリアム大叔父様)

それでいて、「心変わり早!」なんて感じも起させないし。キャンディの心境がきちんと描かれているから、他の人に思いを寄せるようになっても共感できるんですね。
さらに、友人の恋模様まで入ってるし。

中身濃すぎ!充実!

いがらし●みこ先生の絵柄もさることながら、名木田●子先生!すばらしいシナリオ。

一条ゆ●り先生もおっしゃってますが、マンガって最終的にはストーリーというか、内容で決まるんだよなあ。最近は、鯖のような一般の人(すいません)でも、簡単にプロと同じ道具が手に入るし、CG効果も身近なものになってるし。
絵の面では、ただ絵を描くだけというなら、かなりの実力の人も多数いる。
これはコミケに行くとよく感じます。画面の効果はそのへんの新人漫画家と遜色ないようなアマチュアは掃いて捨てるほどいる。

でも、それは必要ではあるけれど、それだけじゃだめなような。
マンガって、ソウルなんですな。魂。きっと。

クリエイターの人々が良く言う、「降りてくる」とか「勝手に動く」とか、そういうのって、描いてる人の内面のソウルの迸りなんじゃないかと思うわけです。それがあるのが面白い。
マンガでも小説でも、論文でも何でも。そういう、こう、ねえ。ソウルが。

私も極まれに、追い詰めて考えて、考えて、胃がきりきりするくらい考えると、ふっと抜けるような、こう湧いてくるような気がすることがあります。
これが四谷シモンさんが言っていた、「自分がこんなものを作れたことが信じられないようなもの」ができそうな入り口なんじゃないかなと思うのです。
自分に余裕があって、余白を感じながら考えるものよりも、そうやってぎりぎりのところから出てくるものの方が、自分は苦しいけど、絶対面白いと思う。

もっともっと。

ああ、いいものを読むと自分が情けなくなるし、奮い立たされるね。
いいものをたくさん読まなくては。そして描かなくては。

せっかく仕事もヤマを越したわけだし。(働け私。)

そして、テリィですよ。
※取材の結果、今まで「テリウス」「テリー」と表記していましたが、「テリュース」「テリィ」が原作表記だということを確認しましたので、今後は原作表記で参ります。
そして、問題のおなごは「スザナ」でした。はい。

やはり、何度読んでも、スザナに感情移入してしまう。

テリィは、立場的にはスザナを選んだわけだし、「自分が幸せになってこそ、キャンディの幸せを祈ることができたんだ」なんて思うわけですが、そんなの自分への言い訳じゃないか。
仮に、スザナが怪我をしなければ、キャンディを選んでいたんじゃないのか。

もちろん、そういうシチュエーションに陥ること自体がドラマで、この作品はキャンディが主人公ですから彼女視点で物語がドラマチックに進むことを重視して作られているのです。

単純に言えば、キャンディとテリィがくっついて、御互い自分の仕事に邁進し、かつ愛し合い、ラヴラヴに暮らしました、といけば、皆幸せでしょう。
スザナは失恋と言うわけですが、自分を愛していない愛する男と暮らすという良く分らん選択肢を押し付けられるよりも、諦めるか、キャンディからの略奪に努力する方が建設的なはず。

だが、そんなストーリーのマンガ、読んでいて面白いか?
人間と言うのは、悲しい生きもので「人の不幸は蜜の味」というのは名言だと、鯖などは思ってしまうわけです。
特に、マンガはフィクションだと思ってますから、隣の人の壮絶不幸は素直に楽しめなくても、架空の人物の不幸は、安心して他人事として同情して楽しめるのが事実でしょう。

だから、テリィはスザナにケガをさせて、かなりキツい2択を迫られるような状態に追いこまれるのです。それがヒロインに愛された殿方の宿命でもあるんですが。

テリィの立場に立ったら、スザナと愛はなくとも結婚し、愛せるように、大事にできるように努力する、というのが選択せざるを得ない人生でしょう。
ここで、「でもキャンディが好きなんだもん。」と開き直り、「治療費は送金します」なんて言ったら、ヒーロー失格でしょう。
※実際問題として、それだけの経済力があれば、それも有効な選択肢かもしれませんが。私がスザナだったら、そっちの選択肢のほうがいいかもしれない。負い目のある人に愛されることって、本当に愛されているのか不安になりそうな気がする。送金とか慰謝料とかで、相手に負い目のない状態になってもらって、それでも愛されたらそれは幸せなんだろうなと思うけど。ありえないか。

ああ、テリィ様。
何となく、結論もないまま、終わります。これってね、現実問題としても、架空のこととしても、まだ自分なりの回答が見出せないでいるのです。

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鯖

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