あけおめことよろ(と若者は言うらしい)
2002年1月4日明けましておめでとうございます。
今年も昨年同様へたれた日記をちょこちょこ書いていこうと思いますので、どうぞ良しなに。
さて、新年の鯖日記は、年末の鯖と鯖友の江戸漫遊記(というか、冬コミ報告?)をほのぼのやっていこうと予定していたのですが、それより先に叫ぶことができましたので。
スナワチ。
徳本―――――――――――――――――――ッ!
それでも好きだ――――――――――――――――ッ!
そう、箱根駅伝です。
一月二日の午前中、あれだけ箱根が楽しみとのたまっておきながら、朝寝坊した鯖は、九時過ぎに起床しました。←この辺が好き好き言う割にいいかげんである。
そして、寝ぼけ眼で居間(というか、ダイニング。)に下りてきた鯖が目にしたものは、肉離れにより、途中棄権して救護車に担ぎ込まれる徳本選手(法政大学主将。第二区)でした。
数日前の練習で、多少不安を持っていたとの報道もありましたが、それにしても。
彼が第二区の区間賞を取ると、区間賞争いの最有力候補だと信じて疑わなかった鯖にとっては、ショックな光景でした。
足を引きずりながらそれでも走ろうとする徳本選手を、監督が抱きとめたときには、切なくなりました。走ろうとする徳本選手も、監督も、泣きそうに見えました。
箱根駅伝は、次年度のシードもかかってくるだけに、自分がたすきを止めることは、許せなかったのだろうなと思いました。
自分だけじゃなくて、他の選手の気持も、ここまでの時間も、結果につなげられなくなることだから。
徳本選手のこれからの競技者としての将来を考えれば、止めるのが指導者としては当然だし、本人としても、止めるべきだということは分っていたと思います。
でも、箱根駅伝と言うのは、やはり高校球児にとっての甲子園のように、別物なんだと思いました。
彼の、中継所に運ばれてベンチコートを掛けられてうつむく姿、たすきを掛けたままで手当てを受けて、痛々しい包帯姿でうずくまる姿、フードからのぞくオレンジ色の髪。
こんなところで震えているんじゃなくて、沿道の声援を受けながら風を切っているはずだったのに。
リズミカルに前へと進んで、揺れているはずだったのに。
時計とにらめっこしながら、たすきをつないで、花の第二区を駆け抜けて、笑顔を見せるはずだったのに。
彼も、私も、まわり中も、そう信じていたのに。
自分はただの一ファンにしか過ぎないし、何をしてあげられるでもないですが、自分が彼にとってもっと身近な存在だったり、自分の周囲の人があんな背中を見せていたら、どうしていたかなと思いました。
やっぱり黙って隣りに座っているのかな。それとも一人にしておいて、落ち着くまで待って、温かい飲み物でも準備して、何もなかったように笑ったふりするのかな。
大事な人だったら、ぎゅっと抱きしめたいと思うのかな、とか。
そういえば、徳本選手って、鯖より年下なんだよなあ。びっくりだ。
自分が大人気ないだけか?
何か、最近、対人関係で荒んでいたのですが、久しぶりに人に対して、愛しさに近いものを感じました。背中に頬を押し当てたいような。(よく分らんが、衝動的に。)
やはり、強いと思っていた殿方のどこか頼りなげな背中って、おなごの勘違いというか、母性愛に近い感情を呼び起こすものなのでしょうか。
※新年から妄想が暴走し過ぎですよ、鯖さん。
これまでも、法政大学は徳本選手に頼りがちだから、他の選手がもっと頑張らなきゃと言われる中で、主将としてチームを引っ張ってきただけに、見ているほうがうまく言えない気持でした。
ずっと区間賞を、箱根で上位入賞をと、周りを叱咤しながら頑張ってきたのに、こんな結末が待ってるなんて、誰も思わなかった。
でも、不謹慎なんですが、痛みをおして、なりふりかまわず走ろうとした徳本選手の姿に、尊敬の念を覚えました。
そんな生き方、陸上に対して、そんな風に対峙できる彼をすごいと思いました。
鯖はどうしても損得勘定が先に立ってしまって、ああいう場面になったら、歩いてしまう。
それ以前に、臆病で、いつも全力疾走じゃなくて、どこかセーブして生きていると思う。ギリギリのものがなくて、エッジ感のない人生を生きてると思う。どこか逃げ道を作っているような、失敗や痛みを恐れて、余力を残すことばかり考えてるような気がする。薄くて軽い生き方だ。
あるのかどうかもわからない後のことばかり考えているような気がする。
それがいいことか悪いことかはわからないけれど、もっと自分の欲望とか、夢とか、そういうものに全開な生き方をしてみたいと、後先考えない生き方をしてみたいと思う。
ああ。
さらに、法政大学は復路はオープン参加で走ったのですが、そのゴールに松葉杖姿で現れた徳本選手にまたマイハートは鷲づかみです。
逃げたりしなくて、すごいよ。すごい。強いよ。
そこになぜいるのか。主将としての義務感か、惰性か、それとも。
でも、理屈抜きで、そこに立っているだけですごい。強い。
ぐっは―――――。
正直、前日の背中を見ていたときは、このまま徳本選手は陸上止めちゃうんじゃないかと思ったのです。
箱根にかけてきたのに、チームの目標も自分の努力も、自分の足の痛みとともにダメになった精神的なダメージはきっと大きいだろうから。
走ろうとする気持が萎えちゃうんじゃないだろうかとか。
体の怪我は時間が癒すけど、取り返しのつかない傷を受けたんじゃないかって。
でも、大丈夫だと、何の根拠もなく思いました。サングラス掛けてたのは、目が腫れたりしてたからかな、とも思いましたが。
ああ、すごいよ。ここまで、いろいろ思う。
駅伝って、ただ十人でたすきをつないで走るだけなのに、こんなにもいろいろ鯖に影響を与える。
生きていくって何だろうとか考えてしまう。
立っているだけで、鯖のチャラい生き方に根性注入してくれる。(←猪木ボンバイエ(爆笑)の影響か?)頑張ろうって思います。
徳本選手の怪我の回復をお祈りしています。
彼が走る姿をまた見たいです。
新年一発目の日記は「徳本ラヴ」で終始しましたね。まあいいか。私らしくて。
って、これ、一月一日のところに書き込もうとしたのですが、失敗して一月四日のところに書き込んでしまいました。
この日記を更新した後に、一月二日分の日記を更新してますので、よろしかったらどうぞ。
鯖と鯖友の江戸漫遊記第一日(と補足)です。
今年も昨年同様へたれた日記をちょこちょこ書いていこうと思いますので、どうぞ良しなに。
さて、新年の鯖日記は、年末の鯖と鯖友の江戸漫遊記(というか、冬コミ報告?)をほのぼのやっていこうと予定していたのですが、それより先に叫ぶことができましたので。
スナワチ。
徳本―――――――――――――――――――ッ!
それでも好きだ――――――――――――――――ッ!
そう、箱根駅伝です。
一月二日の午前中、あれだけ箱根が楽しみとのたまっておきながら、朝寝坊した鯖は、九時過ぎに起床しました。←この辺が好き好き言う割にいいかげんである。
そして、寝ぼけ眼で居間(というか、ダイニング。)に下りてきた鯖が目にしたものは、肉離れにより、途中棄権して救護車に担ぎ込まれる徳本選手(法政大学主将。第二区)でした。
数日前の練習で、多少不安を持っていたとの報道もありましたが、それにしても。
彼が第二区の区間賞を取ると、区間賞争いの最有力候補だと信じて疑わなかった鯖にとっては、ショックな光景でした。
足を引きずりながらそれでも走ろうとする徳本選手を、監督が抱きとめたときには、切なくなりました。走ろうとする徳本選手も、監督も、泣きそうに見えました。
箱根駅伝は、次年度のシードもかかってくるだけに、自分がたすきを止めることは、許せなかったのだろうなと思いました。
自分だけじゃなくて、他の選手の気持も、ここまでの時間も、結果につなげられなくなることだから。
徳本選手のこれからの競技者としての将来を考えれば、止めるのが指導者としては当然だし、本人としても、止めるべきだということは分っていたと思います。
でも、箱根駅伝と言うのは、やはり高校球児にとっての甲子園のように、別物なんだと思いました。
彼の、中継所に運ばれてベンチコートを掛けられてうつむく姿、たすきを掛けたままで手当てを受けて、痛々しい包帯姿でうずくまる姿、フードからのぞくオレンジ色の髪。
こんなところで震えているんじゃなくて、沿道の声援を受けながら風を切っているはずだったのに。
リズミカルに前へと進んで、揺れているはずだったのに。
時計とにらめっこしながら、たすきをつないで、花の第二区を駆け抜けて、笑顔を見せるはずだったのに。
彼も、私も、まわり中も、そう信じていたのに。
自分はただの一ファンにしか過ぎないし、何をしてあげられるでもないですが、自分が彼にとってもっと身近な存在だったり、自分の周囲の人があんな背中を見せていたら、どうしていたかなと思いました。
やっぱり黙って隣りに座っているのかな。それとも一人にしておいて、落ち着くまで待って、温かい飲み物でも準備して、何もなかったように笑ったふりするのかな。
大事な人だったら、ぎゅっと抱きしめたいと思うのかな、とか。
そういえば、徳本選手って、鯖より年下なんだよなあ。びっくりだ。
自分が大人気ないだけか?
何か、最近、対人関係で荒んでいたのですが、久しぶりに人に対して、愛しさに近いものを感じました。背中に頬を押し当てたいような。(よく分らんが、衝動的に。)
やはり、強いと思っていた殿方のどこか頼りなげな背中って、おなごの勘違いというか、母性愛に近い感情を呼び起こすものなのでしょうか。
※新年から妄想が暴走し過ぎですよ、鯖さん。
これまでも、法政大学は徳本選手に頼りがちだから、他の選手がもっと頑張らなきゃと言われる中で、主将としてチームを引っ張ってきただけに、見ているほうがうまく言えない気持でした。
ずっと区間賞を、箱根で上位入賞をと、周りを叱咤しながら頑張ってきたのに、こんな結末が待ってるなんて、誰も思わなかった。
でも、不謹慎なんですが、痛みをおして、なりふりかまわず走ろうとした徳本選手の姿に、尊敬の念を覚えました。
そんな生き方、陸上に対して、そんな風に対峙できる彼をすごいと思いました。
鯖はどうしても損得勘定が先に立ってしまって、ああいう場面になったら、歩いてしまう。
それ以前に、臆病で、いつも全力疾走じゃなくて、どこかセーブして生きていると思う。ギリギリのものがなくて、エッジ感のない人生を生きてると思う。どこか逃げ道を作っているような、失敗や痛みを恐れて、余力を残すことばかり考えてるような気がする。薄くて軽い生き方だ。
あるのかどうかもわからない後のことばかり考えているような気がする。
それがいいことか悪いことかはわからないけれど、もっと自分の欲望とか、夢とか、そういうものに全開な生き方をしてみたいと、後先考えない生き方をしてみたいと思う。
ああ。
さらに、法政大学は復路はオープン参加で走ったのですが、そのゴールに松葉杖姿で現れた徳本選手にまたマイハートは鷲づかみです。
逃げたりしなくて、すごいよ。すごい。強いよ。
そこになぜいるのか。主将としての義務感か、惰性か、それとも。
でも、理屈抜きで、そこに立っているだけですごい。強い。
ぐっは―――――。
正直、前日の背中を見ていたときは、このまま徳本選手は陸上止めちゃうんじゃないかと思ったのです。
箱根にかけてきたのに、チームの目標も自分の努力も、自分の足の痛みとともにダメになった精神的なダメージはきっと大きいだろうから。
走ろうとする気持が萎えちゃうんじゃないだろうかとか。
体の怪我は時間が癒すけど、取り返しのつかない傷を受けたんじゃないかって。
でも、大丈夫だと、何の根拠もなく思いました。サングラス掛けてたのは、目が腫れたりしてたからかな、とも思いましたが。
ああ、すごいよ。ここまで、いろいろ思う。
駅伝って、ただ十人でたすきをつないで走るだけなのに、こんなにもいろいろ鯖に影響を与える。
生きていくって何だろうとか考えてしまう。
立っているだけで、鯖のチャラい生き方に根性注入してくれる。(←猪木ボンバイエ(爆笑)の影響か?)頑張ろうって思います。
徳本選手の怪我の回復をお祈りしています。
彼が走る姿をまた見たいです。
新年一発目の日記は「徳本ラヴ」で終始しましたね。まあいいか。私らしくて。
って、これ、一月一日のところに書き込もうとしたのですが、失敗して一月四日のところに書き込んでしまいました。
この日記を更新した後に、一月二日分の日記を更新してますので、よろしかったらどうぞ。
鯖と鯖友の江戸漫遊記第一日(と補足)です。
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